地震が過ぎ去って……

最初は小さな揺れから始まりました。
といってもその程度の揺れはここ最近よく起こっていたので、この時もさほど気にせず先輩と「まただよ〜」などと言いながら仕事を続けていましたが、今日に限ってはなかなか揺れが収まらない。
それどころかどんどん強くなる始末。
さすがにおかしいと思ったところで、上司がサーバーの元へ向かいだしたので、揺れが続く中で私も後を追いました。
なんとかサーバーの元へ着くと、サーバー達はピーピーといった警告音の大合唱を奏でておりました。
マジかよと思ったところで、今度はいきなり先程までとは比べ物にならない揺れが一気に襲い掛かってきました。
そして一斉にブラックアウトする蛍光灯とモニタ。
とりあえず私達はそばにあるドアやらラックにつかまりつつ、設置されているモニタやPCが倒れないように必死になって支えてました。


そしてどれほどの時間が過ぎたのか……
おそらく1分そこらだったのでしょうが、私には5分近く支え続けていたように思えました。
ようやく揺れがおさまったところで、私達はお互いの無事を確認。
サーバーからはまだまだやかましい音が聞こえますが、電気が戻らない以上どうしようもない。
UPSが正常作動していることを祈りつつ、私達はそのまま外へ非難しました。
そこから先は以前行った避難訓練のとおりに、避難場所に集合して点呼を取ったりしてました。
てか、避難訓練通りに避難したのなんて、人生初ですよ……
ちなみに外へ出たのはいいのですが、着の身着のまま来たためか、寒い寒い……
おまけに花粉が飛んでるためか、花粉症な私は目が痒いわ喉が痒いわ鼻がぐずつくわと、ステータス異常が激しかったです。
てか何なの、この内も外もどっちも危険って状況は!
はっ、そうか、スパロボで言われてた「人類に逃げ場なし!」って、こういうことか!(違
そしてこのとき、先輩との話してたのは、お互いの家の状況でした。
いやだって、あんだけの揺れですよ。
ウチのフィギュアが何体投身自殺してるのか、考えただけで頭が痛いです。
ヘタすると本棚まで倒れてる可能性がありますし……
先輩は先輩で、ローンがまだ残っているという薄型テレビが落下してる可能性が高いとへこんでました。




そうして避難してから30分程が過ぎた頃、まだまだ余震が治まる気配を一向に見せず、絶好調でぐらぐらしてくれてます。
そのため本日はもう仕事にならないということで、各自しばらく車などで待機してから解散という流れになりました。
そんなわけで我々は、一旦社内に戻って荷物を取り、そのまま駐車場へ。
そして駐車場へ向かっている最中に、先輩が携帯で2ちゃんをのぞいてましたが、その時点で今回の地震スレがすでに37までいってました。
さすが2ちゃん、動きが速い。
ちなみに私はここから車を出すまでの間で、家族や友人達にメールを飛ばしてますが、当然返信がまったくありませんでした……
ち、違うよ!
みんなから無視されてるわけじゃないもん!
きっとメールが遅延してるだけだもん!
実際未だにメールのセンター問い合わせが出来ないし!


ちなみにセンターにたまっていたメールは、この日記を書いてる最中(時刻で言うと23:40)に一斉に受信されました。




そして社内に移動してから、数十分。
そろそろいい時間になったので、いざ帰宅開始。
ちなみに私は普段会社を行き来するのに国道6号を使っているのですが、このときすでに大渋滞してるという情報を掴んでいました。
なので今日は初めて、6号を一切使わずに帰ることにしたわけです。


まず会社を出るところで、いきなり激しく渋滞。
まぁこれはしょうがないですね。みんな同じ時間に帰ろうとするわけですし。
そして会社を出たところには、筑波方面に行くか土浦方面に行くかの別れ道があるわけですが、筑波方面はもう渋滞も渋滞。
車が数珠繋ぎになっておりました。
そんななか私は、いつもどおり土浦方面へ向けて曲がりました。
さていつもならこの後ちょっと抜け道を通ってから6号に乗るのですが、その抜け道から6号を見渡したところ、いや、ひどいひどい。
普段なら余裕で流れているところですら、見渡すかぎり車車車車車車車車車車車車……
何この休日の首都高状態は。
とても乗れたものではなかったので、いつも6号に入るところで曲がらずに、そのまま6号の脇を抜ける道を進んで行くことにしました。
さぁ、ここからは走ったことのない道、まさに未知の領域です。
カーナビのない私の車では、この道がどこに続いてるかは不明ですが、まぁこの辺りは土地勘があるので、最悪迷っても方角さえ分かればなんとかなると思って車を走らせました。
するとそのまま6号と併走するかたち走り続けることができ、すんなりと土浦市街まで辿りつくことができました。
いや〜、予想以上に順調だな、おい。
まぁここまでですでに25分かかってるため、とても普段は使える道ではないですけどね。
ちなみに普段の6号ですと、ここまで10分前後で来れます。
ですが今日の6号の状態ですと、25分どころか1時間かけてもここまで来れるかどうか微妙なところであることを考えると、今日に限っては抜け道作戦大成功といったところです。
さて、問題はここからです。
この先は裏道や抜け道がなくなるため、どうあっても大通りに出るしかないということなのです。
そのため以下の3択を選ばざるを得なくなるのです。


1.国道6号に乗る
2.筑波学園内方面へ向かう
3.県道47号に乗る


まず1.は問答無用で却下、そして2.は遠回りすぎるのと、学園内も渋滞してる可能性が高いのでこちらも却下。
すると消去法で3.となるわけですが、私的には消去法をせずとも、元からこの道を使うつもりでした。
この47号というのは、地図上だと多少離れていますが、6号と線路をはさんで併走している道なのです。
しかも6号が土浦から先は片側1車線になるところを、この道は片側2車線で牛久市内まで続いていて、おまけに普段からほぼ渋滞のない、まさに知る人ぞ知る道なのです。
おそらく今日はどこを通ろうとも渋滞しているでしょうが、少なくとも47号なら6号よりは流れていると予想したわけです。
ただし47号に抜けるには、ちょっとした問題点が。
先程も書きましたが、47号は6号とは線路をはさんだ反対側にあるため、どこかで線路越えをしないといけないわけです。
しかも土浦を超えてしまうと裏道や抜け道が激減するので、裏道や抜け道を使っての線路越えが非常に難しくなります。
そのため、どうしたって土浦市内で線路越えをする必要があるのです。
なので私は、土浦市内にある高架道を使って線路の反対側へ向かうことにしました。
ここは普段から渋滞とは無縁の道なので、今日であっても多少車どおりが多くなっている程度で済むでしょうから。
そう考えて、さっそく高架道へ向けて車を走らせたわけですが、今走っているのは今日初めて走る道。
当然どの道に出るかもあくまで私の予想でしかなかったためか、なんと高架道の下に出ちゃいました。
まぁ今更引き返すわけにも行かないので、とりあえずそのまま高架道の下を走ることにしました。
しかもそのまま高架道の下を走り続けると、大渋滞してるであろう土浦駅方面へ向かってしまうので、途中で高架道下を逸れることにしました。


ちなみに土浦も停電してしまったらしく、飲食店はおろか、信号ですら稼動していませんでした。
そのため交差点では、信号に代わってポリスメンの皆さんが頑張ってました。
おまけに道路沿いの民家の塀はほど崩れており、改めて今回の地震の凄さを思い知らされました。


ちょいと蛇足になりますが、私の人生でここまでの震災を経験したのは、中学生のときに遭遇したダウンバーストくらいですかね。
あのときは丁度授業後の掃除の時間だったのですが、教室の窓ガラスが割れて教室内がパニックになりかけたのを覚えています。
そして学校からの帰り道では、強風に吹き飛ばされて道路に散乱した民家の瓦や、幹の途中から折れている木々をあちこちで目撃しました。
それでも今回の地震に比べれば、まだ優しいものでしたけどね。
停電も比較的早く復旧したのを覚えていますし。


そして裏道に入った私はそのままちょっとした住宅街を抜け、川沿いに走って線路付近に到着。
このとき私は、高架道を使っての線路越えが出来なかったので、もう一つの手段である線路下をくぐる道を使って47号に向かうことを考えてました。
高架道と比べると、混んでいるであろうことは間違いないのですが、駅付近で線路越えをするよりはまだマシだろうと予想してました。
そして線路下をくぐる道に辿りついたのですが、そこはやはりというか渋滞してました。
しかしそれでも流れていないわけではなかったので、そのまま道に入り線路下をくぐって、無事に線路の反対側へ辿りつくことに成功。
そしてそのまま目的の47号へと無事に入ることが出来ました。
ちなみに土浦市街に着いてから、すでに25分が経過。
高架道を使えば10分程で入れたことを考えると、道の選択を失敗したと言わざるを得ないですね。
まぁ初めて通った道だったんで、どうしようもなかったんですけどね。
またこの47号に入る交差点では、なんと道路工事中のおっちゃん達が信号代わりになって車を誘導してました。
確かにこの人達ならこの手の作業は慣れたものでしょうが、おそらく自主的に信号代わりになっているであろうことを考えると、頭が下がる思いです。


そして47号に入ってからは、ある程度は快調でした。
土浦市街へ向かう方はかわいそうになるくらいの大渋滞でしたが、牛久方面はいつもよりは混んでいましたが、それでも特に問題なく車を走らせることができました。
ただ交差点に入るたびに、快調ではなくなります。
だってここでも信号が死んでるんだもん。
だからもう関係なしに、左右から車が入ってくるんですもん。
おいおい、ここ本当に日本?
チバテレビでは毎週土曜に水曜どうでしょうが放送しているのですが、丁度先週までベトナム横断の旅だったんですよ。
なんかね、目の前の光景が1日目のハノイに見えました。
まぁハノイと違うのは、こっちは譲り合いの精神が強いところですかね。
おかげで交差点に入るたびに徐行になるわけですがね。




そんなふうに安全運転行いつつ、荒川沖駅を過ぎたところ……
なんと前方の信号が点灯しているのが見えてきました。
しかも先程までは真っ暗だった街灯も、荒川沖駅より先になるとそこらじゅうで光り輝いてます。
どうやらここからは電気が復旧している、もしくは停電していなかったようです。
となれば私のアパートも電気が復帰している可能性が高いということが予想できたので、自然と気分が盛り上がってきました。
正直もうすぐ夜になるというのに、電気が使えないのはきついですからね。
まぁ灯りはいいとして、問題は電気がなきゃパソコンを使えないということ。
だってパソコンがなきゃ、情報収集できないですからね。
TVという手もありますが、電気がきてなきゃ結局同じこと。
ですから電気がきてるとわかっただけでも、まずは一安心です。
後はガスと水道ですが、これらはたぶん問題ないと思ってましたし、最悪電気さえあれば今夜の夕飯はなんとか準備できますしね。


いや〜それにしても、停電の境目を見たのなんて人生初ですよ。
丁度荒川沖駅へと向かう交差点の信号は真っ暗なのに、その先の信号は赤く光ってるわけです。
なんか不思議な感じですね、これ。
それにしても、もう時刻は18:00になろうかという頃で、さすがに暗くなってきたところだったので、この灯りは非常に心強いです。
こんなに街灯の光が頼もしく思えたのは、登山部時代に遭難しかけたとき以来ですね。
街灯の光はささいなものでしたが、文明の息吹を感じただけでものすごい安心したのを覚えています。
今もまさにそんな感じです。ここまでの光景が光景だっただけに、なおさらです。
だって夕方どころかもうすぐ夜だってのに、コンビニもパチンコ屋も暗いんですよ。
それがこの先に見えるコンビニには灯りがともっている。
なんかこの境目が、日常と非日常の境目のようにも思えました。


そんなこんなで47号に入ってから15分。
いよいよ牛久市内に近付いてきたわけですが、ここにきてさすがの47号も渋滞が目立つようになってきました。
といっても他に道もないのですし、それに流れていないわけではないので、このまま47号を進むことにしました。
さて、あと我がアパートに辿りつくまでに残された問題となるのは、ただひとつ。
我がアパートは6号側にあるので、どこかでもう一度線路越えをしなくてはならないということです。
ちなみに線路越えできる場所は7箇所ほど心当たりがあるので、後はどの道を選ぶのかということ。
とりあえず陸橋や渋滞してるであろう6号に入ってしまう踏切は除外した結果、普段抜け道として使う踏切と牛久駅脇の踏切の2択に絞りました。
後はどっちが空いてるかということですが、普段抜け道として使っている踏切は、車が1台しか通れないほど狭く、さらにすぐ住宅街に入ってしまうため、塀が崩れていた場合は、ヘタすると通り抜け出来なくなっている可能性があったため、牛久駅脇の踏切を通ることにしました。
といっても、この踏切は駅のそばというだけあって時間帯によっては渋滞しているため、今日も渋滞しているんでしょうけどね。
でもこの踏切は、ほぼ6号を使わずにアパートまで着ける道でもあるので、6号に直結している陸橋よりはマシなはずです。
そう思って牛久駅脇の踏切の道に入ったところ、たしかに渋滞はしていたのですが、それは予想よりもはるかに短かく、そのため警戒していたわりにはあっさりと線路を越えることができました。
さぁここまでくればアパートはすぐそこ、というわけでこの後は特に問題なく走って無事にアパートに到着しました。




結局会社から1時間20分でアパートに辿りつくことが出来ました。
普段は30〜40分といったところなので、いつもの倍はかかってしまったわけですが、あの地震後の渋滞を考えれば実に早く帰って来れたほうだと思います。
そしてこの後私は、アパートの自室の惨状を確認して無事に辿りついた喜びが消えうせるわけですが、それはまた次回ということで……